スピリチュアリティ

こんにちは、ハンスです。
本年もよろしくお願いします。

さて今回は
「霊性」=「スピリチュアリティ」
について触れてみたいと思います。

この「スピリチュアリティ」という言葉
よく「霊性」と訳されていますが、
最近ではそのまま「スピリチュアル」
あるいは略して「スピ」と、言っていますね。

けれども、この「スピ」のほうは
ビジネス / 商業系の記号とみなし
ここでは無視します笑

で、ハンスも「スピリチュアル」と
そのまま使いたいと思いますが、
では、このスピリチュアルとは何か?

一言でいうと
「源とつながること」だと思います。

その観点でこの言葉を見ると
スピリチュアルは
「スピリット」が語源です。
霊、あるいは魂
だからやっぱり「霊性」なんですね笑

自分の源
別の言い方をすると
「本来の、普遍の自分」
それがスピリット
である、と。

そことつながることで
私が普段「私」と思っているものから
解き放たれ、癒しが起こり
そこから「物質(体)」のレベルにも
癒しが反映されていきます。

そしてまた
「魂の源とのつながり」
というのもあります。

自分を体だと思っている時
私の源は、両親であり
私の始まりは、私の誕生日。

でも、
自分が魂であると認識したら、
私の源は
「神」=「宇宙」=「Something Great」

私の始まりは、輪廻(転生)を
伴った、永遠という時間軸にあるもの。

すると
「私とは、これこれ、こういう者である」
という存在認識、存在価値が
根底から、変革されます。

本来、スピリチュアルな教え
あるいは伝統的な宗教は
様々なかたちでそのことを教え
実践を通して学び
その体験を分かち合うものでした。

ヨガ瞑想の実践は、
この中でも中核をなすものの一つ。

ドリシティ瞑想ワークでも
体を超えた「本来の自分」
「スピリットとしてのわたし体験」

を、じっくり味わっていきたいと思います!

 

 


今、ここ、安心。

こんにちは、ハンスです。
秋も深まり、寒気で一気に冬の寒さですね。

今回のタイトルである
今、ここ、安心。
最近、お気に入りのフレーズです。

何があっても、なくても
「今、ここ、安心。」
心の中で言うと、即自分が安心の
只中に入る、という感覚があります。

普段、何気なくふつうに
見て、聞いて、感じて、考えて、、
といういわゆる “体を通した体験” から
そっと離れてみる。

その、離れた位置から
今、ここ、安心。を感じてみる。

その位置というのは
相対の場所ではないので、
見たり聞いたりしていることを
あるいは自分の思考や感情を
ジャッジしたり、評価したりは、しません。

そこにコントロールは存在せず
ただ安心が在る、
安心だけが在る、ということを知り
それに浸ります。

このかんかくは、単なる気休めではなく
そこに広大な “本質” が、横たわっています。

そこにあるのは安心のほか、
静けさ・静寂・落ち着き・穏やかさ・
安らぎ・安全・安定・安堵(&)、平和 …^^

これらをインド(ヒンディ)語で
「シャンティ Shanti」と言います。

なので、
「今、ここ、シャンティ。」
でもいいですが

自分的には「安心」がしっくりくる、
スイッチが入る感じがします^^

何があってもなくても
でも、特に何かあったら、
つまり、心がザワついたりしたとき、

「今、ここ、安心。」
思考や感情や
ひとや状況や
過去や未来に
広げた大風呂敷(笑)をパッと閉じて
今、ここにしかない安心を
絶対的な安心を
感じてみてください。

 

 


意識の変遷

こんにちは、ハンスです。
明日から9月、皆さんどのような夏を
過ごされたでしょうか。

今回のテーマは「意識の変遷」です。

わたしたちは人として
どのような意識をもって生きてきたのか
それが、どのように変化していったのか?

インド哲学には、これに対する
シンプルで明確な回答があります。

最初、
人々は調和と秩序に満ちていた。
それが、
あることをきっかけに
意識の分離が起こった。
一人ひとりがバラバラになってしまった、
と言います。

「私」と「あなた」は別々の存在、
あなたのことを理解するのは難しい。
私のことを理解してもらうのは難しい。

そのため、
人々は絶えず主張し、争い、競い合い、
分裂を繰り返すようになってしまった。
「私」と「あなた」を対立させ
「私」の都合を優先するようになった。

そのような人々が生きる世界を
カリユグ=暗黒の時代
と呼びます。
まさに今が、それに当たりますよね。

そしてこのあと
世界は再び、調和と秩序あるもの
サトユグ=真実の時代
に戻る、と言われています。

それは、少数の限られた世界のはなし
ではなく、世界全体が
目覚めるようになる、ということ。

でもそれは100人中、100人が意図して
目覚めるというより、
「百匹目のサル」現象のように
臨界点から全体と拡がっていく、と。
(百匹目のサル自体は、どうも創作らしいですが^^;)

そして、
この調和と秩序の時代においては
病気は存在しない!と言われています。
るなさんのブログにも
「自分の思考が病を創りだしている」
とありましたね^^

人と調和し、すべてを愛で包みこんでいくような
意識が「目覚めている」状態とすれば、
人と対立し、すべてを分け隔てていくような
意識は「眠っている」状態、と言えるでしょう。

体の眠りと同じく、
起き始めはボーっとしたり
光がまぶし過ぎて、手で遮ったり笑
することもあります、
けれども少し慣れてくると
目覚め状態がいかに心地よいか
いかに幸福なものかが実感されてきます。

この、眠りにいる人間意識を
本来の、あるべき状態へと戻していく
ことが、ヨガ瞑想の目的の一つです。

そんな「目覚め」体験を分かち合う人が
もっともっと増えていくといいなと思います☆