「ドリシティ」カテゴリーアーカイブ

瞑想の効用

こんにちは、ハンスです。

関東は空梅雨気味ですが、
九州での豪雨災害の中にいらっしゃる方々、
また援助される方々には心よりお見舞い申し上げます。

さて、瞑想というものが
ある種の「メソッド」として一般的にも
とり上げられるようになって久しいですが、
ここで改めて
「瞑想の効用」について、見ていきたいと思います。

先日、瞑想を実践している方々の
声を聞く機会がありましたので、そこから
ピックアップしてみたいと思います。

☆瞑想をしてこんなよいことがあった!☆
・心穏やかでいられる時間が増えた
・物事を考えすぎなくなった
・人の目が気にならなくなった
・心配することが減った
・幸福感が増してきた
・肥満体形だったが大幅に痩せた
・夜、よく眠れるようになった
・肌がきれいになった
・自分のことが好きになった
・人を受け入れることができるようになった
・深刻さが減り、物事を楽にこなせるようになった
・直観がはたらくようになった
・人間関係や仕事がうまく回り出した

まだまだありましたが、代表的なものを挙げました。
これらには、大きく分けて2つのことがあります。
一つは、内面的なこと=心のこと。
もう一つは、外面的なこと=体や身のまわりのこと。

これは、幾度も申し上げていますが
内に変化があり、それが外に変化をもたらす
というのが、瞑想の本来の流れです。

最近のマインドフルネス等では
また違った見解があるかもしれませんが、
伝統的なインド由来の瞑想というものは、
働きかける先は、自分の内面です。
内面が好転することで、そのエネルギーや気が
体(器官、細胞)に及んで、健康体になります。
また、生活そのものが健全なものになっていきます。

では「健康になるために」がんばって瞑想しよう!
とすると.. これはちょっと、違った方向に行ってしまう
ことにもなるんですが.. それはまた先の話ということで^^

いずれにしても、
心身ともに、停滞気味
心・気持ちが否定的なことに向いてしまう
毎日の生活にあまり張りがない
等と感じる方は、特にトライしてみる価値があると思います。

瞑想も今は、随分と敷居が低くなりましたからね。
ナイアでのドリシティ瞑想も、その一助になれば幸いです。

 

 
2017年9月10日(日)ドリシティ伝授 瞑想グループセミナー開催


自己の心を知る

こんにちは、ハンスです。
2月半ば、まだまだ寒いですが、
穏やかな日差しが日々増していますね。

今回のタイトルは「自己の心を知る」です。

私たちは
「自分の心、気持ちは、自分が一番よく知っている」
と思っている節がありますが、
果たして、ほんとうにそうなのか..?
と思うことが、よくあります。

なぜかと言うと、
心(マインド)にのぼる考えや気持ちを
マインドで認識しようとしますよね?
それだと「ほんとは見えていない」んです。

井の中の蛙状態とでも言いますか、
自分の考えを、その考えの水の中でしか見ていない。
ヨガならぬ「一人ヨガり」です。(←ココペリさん調に笑)

では、、
どうすれば、心を真に見ることができるのか?
というと.. インドにとても優れた発想があるんです。

「心」に考えがのぼる
それを「知力」が認識する

この知力をインド語で「ブッディ」と言います。

このブッディが行うのは
「認識したり理解したり、判断したり選択したりすること」

西洋では
「それらはマインドが行う、あるいは脳が行う」
と考えられていますが、
マインドとは別に、認識を司る機能が存在し
その機能を強くすることで
自分の思考や感情に翻弄されず
最良の決断や選択ができるようになる、

というのです。

ん? それって、理性のこと?
と思うかもしれませんが、
頭とか脳、思考を指しているのではないです。

実際、一番近いのは
ハート」あるいは「良心」。
ハートからやってくるもの、
「魂が知っている」という感覚、それが知力です。

実はこれ、瞑想のポイントでもあります。
知力を使うことで「アウェアネス」が起きます。

ドリシティセミナーの中で行う
「思考を見張るワーク」等も、
実は知力を使ってそのパワーを高めていく
という作業なんですよね。

心と自分とを分けて、意識して「知力で見る」
ようにすると、段々と自分に余裕が生まれてきます。
見聞きするものに、惑わされなくなります。

心がざわついたとき、イライラしたとき、
なにか不安な気持ちになったとき、、
知力を意識して、その「目」を開いて
そこに立ち、そこから考えや気持ちを眺めてみる。
試していただければと思います!


 

 


ありがとう2017

こんにちは、ハンスです。
今年最後のコラムになります。

以前、ある人から
次のような質問を受けました。

「ドリシティの波動と
ありがとうの波動って、同じじゃないですか?」 と。

.. これは、とても似ています。
が、、ちょっと違うというのが答えです。

というか、
ドリシティの中に「ありがとう」が含まれている
と言ったほうが、いいですかね。

ドリシティの波動の中に
否定性は含まれません。

そして、ありがとうの中にも
基本、否定性は含まれない。

両方とも、
わたしたち本来の “しあわせ感”
を伴うものです。

でも、ひとつ違う点があります。

「ありがとう」は通常、そう思える出来事や、
人からそのようなことをされた場合の
「御礼」「感謝」として、出るものですよね。
「~しれくれてありがとう」といった具合です。

一方、ドリシティのほうは
状況や出来事、また、人がどうしたとか
そういうことは、一切関係ありません。

自分の内側の深いところから
ありがとうの念と同じものが、現れてきます。
言ってみれば「施し」「創造」です。

別のことばで言うと
「ありがとう」は結果 / 「ドリシティ」は原因

こう考えると、似た波動ですが
その立ち位置と使い所が真逆ですね。

けれども、このことを逆手に?とって、
云われに関係なく「ありがとう」を言うことによって
ドリシティと同じ、肯定的な結果を
物事にもたらすことができます!

ドリシティの
“安らぎ”
“しあわせ感” には
理由がない。

それと同様、
「ありがとう」を思った時の
“しあわせ感” を、ただ感じるために
この言葉を使います。

ありがとう、2016年。
↑これだと、結果ですね。

「ありがとう、2017年!」
↑これです笑
ドリシティ的な、創造の種まきとしての
ありがとう。
※結果を期待しないで使うのが、コツです笑

皆さんには
深い安らぎと、しあわせ感満載の
2017年が訪れるようになります!

今年、コラムを読んでくださった皆さま、
ありがとうございました。
どうぞ善いお年をお迎えください☆