今ここが満ちて形を成す

「今ここ」が満ちて形を成し、
生き物となり、人となり、
やがて動きとなる。
それが私たちに下される天啓でもあり
大自然でもあるこの世界です。

私たちの社会を優しく包むこの自然も
神からの啓示、つまり天啓だと想います。

自然は何よりも美しい。
自然は真実で善良で美しい真善美、
神からの祝福です。

そのような神は、空を見上げても
そこにはおらず、美しい自然の中に
当たり前のようにしっかと存在します。

たとえば春に咲き乱れる花々の中に
曼陀羅のような花びらと、ふくよかな香りの中に
ひらひらと美しく舞う蝶々の羽の陰に
風雪を耐えてしっかと立つ防風林の松林の樹々に
立ち枯れした烏瓜の雅な姿の中に
樹齢を重ねた御神木のごつごつとした幹の表面に
山から海から吹いて来る爽やかな風の中に
そしてこの世に存在する全てのものの中に
神の姿(神の愛)があります。

だからこそ人は誰もが自然を愛し、
自然の中に身を置いた時、言葉に
できない歓びを感じるものなのです。

人は幾度となく輪廻転生し、
あらゆる経験を積むことで
魂が磨かれていきます。
そんな人こそが神の現し身です。

頭ばかりに捉われて生きている人は
物事をコレクトすること
付け足すことに執着し、名前や知識に
拘って自分の考えに満足します。

ところが真の名前のない自分は
名前はたんなる記号(音)で
そこに意味はなく重きを置いていない
ので拘りがありません。

そのように拘りのない人たちから見れば
名誉とか地位とかお金とかセレブって
何でしょう?と想うのです。
(この私でさえも最近までAKBAって
アーカイブ?だと思っていた
くらいですから。)

頭は元々空虚だから色々な雑多なことを
集めたり、様々な事柄で埋めたくなる
のです、頭が満足するために。
けれどいくら頭を満足させたとしても
心には空虚感が残り続けます。

そこには名前のない自分と、
知識や考えで満足する小さな自分との
せめぎ合いが常にあるのです。

神は人の子を愛していて
愛しい我が子にたくさんの経験を
させようとしているのです。

Bird 「桜♪」

「桜の花びらが舞う
細い坂道の途中
いにしえの若い2人
激しい予感抱いて
君のはじまりはどこに
君のこれからはどこへ
何も知らないほうが
良い時だってあるのに
見えない壁はいつでも
何のためにつくられる
かすれた声とともに
月は空に溶けてゆく」

皆さんの心にも春が訪れますように♡