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世界を楽しもう

私たちはそれぞれがが個である以上は
孤独であることが、
根源的な属性として私たちに内在します。

その、何ともいかんともしがたい孤独なものがあるが故に、
人は多少なりとも心(情感)を共有できる手段を探し求め
そうした探求の結果のひとつとして
スポーツを生み出したのだと想う。

個で在ることが
孤独な存在が知性を得たことで
人類に宿命づけられた呪いならば
スポーツは知性と感性と技巧の鍛錬によって
呪いの一端を解くトライアルだと想う。

ならば、
まつり(祭り・祀り・政り)ごとを楽しもう

オリンピックもたけなわで、明日は終戦記念日で、お盆で、
そして天皇には、長い間ありがとうの気持ちを込めて。。。

感動を感じているものと、感動を差し出して来る者との間に
温度差がない表現

感動をダイレクトに伝えることができる力量
持っている技巧と情熱のすべてを感動の再現に捧げる
人々が目の前にいる。
それもまた新たな感動だ。。。

スポーツというのは
こんなにかくも美しく素晴らしいものだったと
毎回オリンピックが開催される度に感動する。

私たちが感動を得るのは、
演技者の中にある感動との共振によるもの。
技巧は自分の中にある感動を伝えるための道具です。

余計な力みはすべて忘れた無心の境地で意識は研ぎ澄まし
けれどキリキリと張り詰めさせるのではなく
身体は指先まで自然体で、心・技・体をピタリと一致させる
自在性を持つための適度の緊張と余裕とがコツ。

心の中の感動を余さず人々に差し出すには
精神的に自由奔放な人間へと自分を拓く必要がある。

「私はここでこのように生きている」と云う
表現したいと云う歌心を持ったスポーツ家が、
自分の存在を訴えたいと云う希求を持っているか
否かがポイント。

尋常な自己顕示欲では収まらない程に
強く激しいそれは
現実に呑み込まれて妥協を受け入れる
タイプでは大成できない。

「君と云う、この世に2人とはいない。
スポーツ家としての表現は
他の誰でも真似でもない君独自のそれでない限りは
この世に存在する意味はなく、値打もない。
意味も値打もある君独自のスポーツを創り上げるには
君が君自身の力だけで、表現者としての自分を突き詰めて
突き詰めてやり遂げるしかない。
楽しいではないか。
やり遂げたら、どんなにかすばらしいだろう。」

君たちには、努力することを楽しめる素晴らしい情熱がある。
だから、観る側の私たちも共に楽しもう

皆さんが、目の前に生きて動いているだけで
感動してしまう私は
更に皆さんと心を共有できて感動しています。
みんな、感動をありがとう。

今日も感動ある良い1日をお過ごしください。

Carlton & The Shoes  「Give Me Little More♪」