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中庸

「今ここ」に在る。
自分と云う生命(意識)を感じてみると
それだけが全てなのだと瞬時に理解できます。

「今ここ」には何もない。
何もないだけに自由で楽ちんなのです。

「今ここ」は中庸の世界です。
光と闇の狭間、身体と魂の狭間、
国と国との狭間、与党と野党の狭間、
リベラルとコンサバとの狭間などなど。

争いごと、競いごとは
どちらの側に付くのかで、
まるで違った景色に観えるものです。

でも実際のそれらは表裏一体で、
争い合う者たちの本性は
何も懸け離れてはいないのです。

中庸が今の世の中、もっとも難しいけれど、
でも難しくても中庸を目指し、それを保つことが
目覚めた者たちの使命だと確信しています。

テレビやラジオのニュース番組では
悪いことばかりを垂れ流しています。
凶事ばかりを目にして耳にしていると自ずと
凶事を呼び寄せ、凶事に見舞われると云う
憂き目に遭います。

子供達には目に触れないよう、
大人たちもマイナーな波動に囚われないよう
気を付けることが肝腎です。

もしあなたが外の世界ばかりに
意識が囚われるようになって、
何をするにも自分が正しいと云う
スタンスから人々を見下し、
自分に対する矜持が傲慢さになって
他人ばかりを批判したり蔑んだりしているなら、
それが呼び水となって、あなたは不運に
見舞われることになります。

そんな闇の世界に囚われないよう
お互い気を付けたいものです。
そして皆さんにも
何より中庸の世界を愉しんで頂きたいと願っています。

Mayer Hawthorne 「 Maybe So Maybe No♪」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない♪」

 この曲のタイトルと同じに、日本人はたとえば
 今の支持政党はと尋ねられて
 「保守と革新、そのどちらでもない」と
 答える人たちが多い。
 縄文人のDNAを受け継いだ私たちの中には
 既に中庸の世界が存在するのかも知れません。

 

 

『私は私というものに形がなければいいのにと思います。
 どこの誰から生まれたとか、どこの都市の出身だとか、
 どこの星に住んでいるんだとか
 この顔の形や身体の形
 考えることのすべて、それに基づいた行動のすべて
 私が生きていることのすべて
 それらすべてに形がなければいいと思うのです。

 形であるというだけで、
 あなたと私の距離は生まれるのですから
 あなたと私が今ここに存在していて
 あなたと私を分けるものは何も存在しない。
 あなたと私を区別するものは何もなくて、
 もしかしたら、あなたは私かも知れないし
 私はあなたかも知れません。

 あなたと私はいつか溶け合って
 ひとつになって、すべてを共有する。
 そう、私が次に生まれたいのは
 そんな宇宙です。
 もちろん、あなたと共に。』
            スタンリー・ウエィ