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斯く想う

最近、頓に強く想うことがある、それは
自分を含め人とは何と愚かな存在なのだろうかと。

テレビに映る政治家たちの表情を観ていても想う。
嘘を吐く人の顔はなんと醜いのだろうかと。

何かを隠蔽しようとする人間はそれを
暴かれる危険に陥る時、
むしろそれを隠すために嘘を
上塗りする傾向にある。

嘘が更なる嘘を呼ぶ、そんな彼らの顔は醜い。
でもそれは今この瞬間を共にする
私たちも例外はなく同じだと云うこと。

結局、私たちも同じように醜いのだ。
残念だけど、とても受け入れがたい真実だけど。

けど受け入れてみれば
そこから新たな解決策が生まれて来るように想う。

先日のるなさんのブログで
脳科学の話が取り上げられていたので
思い出したことが・・・

子供の頃より死に対する疑問があって
死と云うのは単に身体の死であって
身体を脈々と受け継いで来たこの魂は
永久のものだと知るようになりました。

何故なら自分の中には輪廻転生の記憶があり
身体に身を移してもなお、途絶えることのない
古くからのそしてリアルな記憶と
それを体現できるフォースがあるからです。

子供の頃によく想ったものでした。
身体の死は怖くはないけれどでも
記憶を失くすのは嫌だと。

できることなら意識を保ったまま別の身体に移行したい
そのようにずっと想っておりました、つい最近まで。

そしてもうひとつ
何も言葉で伝えなくとも、解かる人には解かる。
むしろ神さえ解かっていてくれるなら
それで善いのだと、ずっと想って生きてきました。
まあ、ある種の自己満足の世界にいたのですよね。

でもそれさえもつい最近になって、この世界では
人間、思えば伝わるなんて夢物語。
言葉にしてさえ誤解は生じ、大きな違いも生じ。
なのに何も言われずに伝わる思いがどこにある。
どんなに目でものを言ったところで言葉の重さは格別。
だから想いを口にすることは必要なんだと想うのです。
それが私がこの世界を受け入れると云うことだったのです。

脳は死を恐れる。
脳自体の死、それは記憶の死でもある。
だから脳は身体の死を恐れるのです。

そう想い至った今は
もう記憶の死は恐れることは無くなりました。

だからこそ、もうここには生まれ変わらない
そんな気がするのです。
未練も後悔も執着も恨みもそういうものを
一切持たずにあっさりと往くでしょうから。

こんな時、いつも心にあるトートの言葉を想い出します。
『魂の糧となり成長となるもの以外、
何事も意味はない
肉体はつかの間なのだ。
人として魂の進化となることだけが学びであり
価値であり、そうであってこそ、
人はすべての束縛から真に自由になれるのだ』

今日も素敵な一日をお過ごしください。

Traveling Wilburys 「Dirty World ♪」