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自由であること

この世界で生きることに於いて常に自由でいるには、
主観で物事に抗おうとするのではなく、
物事をあるがままに受け止めるということに尽きます。

人々は目に見えない闇の世界のことを否定的で理解できない事柄だと、
肯定的に征服しようとします。
つまり人々は対立するものを征服しよう、
あるいは征服できると勘違いしているのが
今の世の常なのです。
そしてこの勘違いが耐え難い緊張感を生み、世界を破滅へと導いているかのようです。

肯定的なものばかりを追い求め、波否定的なものは抑圧され
結果、抑圧され続けてきたものはあらゆる形で抑圧から逃れようとします。
当然、その不均衡さが緊張感の限界へと達した時、反発的な
破壊力が発動することになります。

つまり私たちがここで学ばなければいけない事実は、
陰と陽、ネガティブとポジティブがバランスしているところに在ることです。
今の世に存在する私たちには、常にニュートラルでいることが
求められているような
気がしてなりません。

どうして、それが解かるのかと言えば、そのスタンスが一番自然で美しく、
そして心地良いからです。
ニュートラルにいればフットワークも軽く、
いつでもどこでもマインドに囚われることなく、
時に応じて場所に応じて臨機応変に、神のように自由奔放に生きていけるからです。

可でもなく、不可でもなく、
たとえ周辺でどのような事態が起きたとしても

私たちは自由でいられるのです。
いえむしろ、ニュートラルであればこそ、良い兆しを招くのだと確信しています。

私たち人間は身体として存在する以上は、カルマが生じ、
身体が無い神のようには完璧ではなく、
見えていない部分、あるいは無意識の領域で、
生きていれば必ず過ちや間違いを犯します。

イエスのように、あるいはブッダのように、
たとえ聖人とか覚醒者と言われた人たちをみても
それは明らかなこと。

私たちには失態に陥らず、
致命的な危険にあわない等という保証は一切ないのです。

でもそれらを回避する道も実はまたあるのですけれど。

ただ、その場合は清算されるべきカルマに気付かずに通り過ぎてしまうという、

それこそ生きた心地のしない、生き生きとした生きがいのない
人生になってしまうのではないでしょうか。

たとえ物事に執着しない生き方をしていても、問題が山積みのこの世界では、
問題の方から私たちの方へ自ずとやって来て形と成していくのですから、
自発的な意志を貫こうと努力するよりも、流れに身を任せる、
その方がよりしっかりとした結果(創造)へと繋がるのではと想うのです。
己を信じられさえすれば、洞察力や直観力こそが、
その創造力となることに気が付くのです。

たとえ、これから先、迷いや不安が襲ってきても、
それらは私たちが越えなければいけない試練です。
その試練を乗り越えてこそ私たちの未来は輝きます。

そして私たちにとっても大切なことは「自分の人生を肯定すること」。
そうあることで私たちはあらゆる事柄にも耐えられる(本質の)自分を取り戻し、
あらゆる運命も難なく乗りこなしていける自分となります。

生まれて来ない先も、生まれて住む世も、身罷るも全部、運命という神の手の内。
まあ、ジタバタしても始まりません。
すべては運命に委ねて、自分を信じて今この瞬間に生かされている生命を愉しみましょう。

私にとって神は陽の光に等しく常に共に在るものです。
そこでこの曲をあなたに捧げたいと想います。

Stevie Wonder  「 You Are The Sunshine Of My Life ♪」