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魂の揺らぎ part2 

意図的に創り上げる必要はありません、
私たちは既に自分の意識で創造しているのです。

でも今日日、私たちは未だに(内面の世界が現れた)結果という鏡の中の現象に、
精力をつぎ込んでいるように想います。

例えば、学校へ行って学んで、
卒業して良い収入が得られる仕事に就いて、

良いパートナーを得て家庭を持ち、家族を築いて・・・と云う風に
息つく暇もなく先へ先へと
意識が囚われて、
結局は精力を使い果たして死んでしまうのが落ちです。

でも鏡の中に映し出された現状とは元々自分の中にあったもので、
私という存在がすべてを創造している、このことに気付いていないだけ。

何故それを創造したのか、何故こういうことが起こっているのか、
その深いところで私たちに何をさせようとしているのか、
それはどういうやり方で私たちを真理から遠ざけようとしているのか・・・。

鏡に映ったどんな現象も現実も、
私たちが今、何者であるのかを人生を通して

語りかけているような気がします。

この現状で満足するのか、
あるいはもっと私らしく生きられる表現方法が他にあるのかと

語りかけているようにも感じます。

仕事やステイタスやそれこそ名前は簡単に変えられるけれど、
私たちが内面を変えなければ鏡に映る現状は変えられないのです。

これは考えを改めるということでなく、ただ運命を甘受するとことで
調和した魂である本当の自分に目覚めます。
自分が誰で何者であるかを見付け明らかにされれば、
私たちの内面に宿る普遍のパワーを手にすることができます。

本来の自分として存在する時、このForceが自分の前に明らかにされます。
選択して迷う必要もなく、こっちか、あっちかの先に答えはありません。
ただ選ぶとしたら今この瞬間に私は本当の私を受け入れているのか
それだけが
Pointです。

本当の私が明らかにしようといていること、
表現しようとしていることは何なのかを見付けだすこと。

これが解かれば、道は自ずと開かれ物事は自然にそのように起こります。

表題でもある「魂の揺らぎ」とは、
このイルージョンに捉われた自分と、
決して揺らぐこと無い本質の自分との間を

行ったり来たりしている自分への警鐘と言うか、
今はもう彷徨っている時ではない、そのように感じるためです。

本意に覚醒して、そのもので生きるには、
自分は「繋がっている」でもなく「自分の中の1部分」でもなく、

「魂そのもの」「神そのもの」であるという認識が必要だと想うのです。

最後に
個人的にはクラシックは、
音楽の中でもっとも洗練された芸術の究極の姿だと想っています。

まあ、どれもがすべてとは申しませんが、
私が宇宙を彷徨っていても尚且つ聴きたいと願うのは

おそらくバッハかなと想います。

今日も良い1日をお過ごしください。

バッハ 「無伴奏チェロ組曲♪」