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純粋性の力

いよいよ東京も梅雨時に入り今日は、春雨が
シトシトと舞い降りています。
何故だか少し湿気った感のある今朝のウグイスの
鳴き声も梅雨入りを感じさせるものです。

この時期は紫の花が目につき、特にアジサイは紫と
言っても様々で、そのトーンの違いが美しく
心惹かれ、眼を楽しませてくれます。

さて話は前回の続きです。
ドリシティの力は純粋性の力だというお話しでした。

その前に・・・
過去世に於いてのカルマの報いで、今生、
医者嫌いというか医者要らずというか、
それで生きて来たこの人が
いきなり緊急手術を受けなくてはならなくなった
という顛末になったというお話しでした。

緊急でなければ当然、医者は避けていた筈ですから、
まあ、訳が解からなければ“何の因果?”なのでしょうが
でも幸い解かっていたのです、
これが“因果応報”だということを。
なので可もなく不可も無く、ただ運命を
受け入れただけの話しということです。

運命をただひたすらありがたく受け入れるには
神への信頼が必要です。
無論、自分が純粋無垢だなんてことは思ってる
訳ではありませんが。

そして信頼が必要だからと言って強制的に
信頼できるわけもなく、感謝しようとしても、
むりやり感謝できないのと同じです。

総ては心の内側から湧きあがってくるもの。
信頼も感謝も愛も好きと云う気持ちも、
すべて魂を心に意識した時に感じるものです。

魂の覚醒を意識すれば、ハートもマインドも
その座を譲ります。
そうした人たちは知識に溺れることなく、
感情的になることもなく、意識的になります。

それが純粋性の力です。


魂の意識は常に私たちの親である神(創造主)を

自ずと意識するものです。
その意識には既に神の倫理がインプットされていて、
神の愛に導かれたタオ・
つまり人生を歩むようになるのです。

勿論、今ここにいる、この人(私)が純粋無垢だ
なんてことは到底思えませんけれど。
けれどその弛まぬ努力は“いまここ・いまここ”に
としているのです。
まあ自分なりにではありますけれど。。。

だって人は人、自分は自分で、他とは比べようが
ないものですから。
でもこの目の前に拡がるパノラマ(ドラマ)の主人公は
自分しかいないのだとはいつも自覚しているのです。
自分を達成するのは自分にしかできない、
このことだけは理解しての“いまここ”なのです。

純粋性の力は利他的で無条件の愛の力、ということで

“私は常に神と共に在りたい”という個人的で邪な願いを込めて
今日はこの曲をお贈りします。

エリック・サティ 「Je Te Veux( あなたが欲しい)♪」