カテゴリー別アーカイブ: ヨガ・瞑想について

ドリシティ・パワーは純粋性の力

私にはかつてエジプトの時代に、
魂が人の身体の何処に宿っているのかを知りたくて
死体の脳をやたら解剖して探していた記憶があるのです。
いえ、もしかしたら生きたまま解剖したことも
あるのかも知れません。
まあ多少は弱っている人たちを選んだのかも知れませんけれど・・・。
いずれにせよ悪い奴ですね。

そのカルマが祟って、今生の人生を頂いた感があるのだけれど。
結局、幸いなことに普通の生活が送れて、
更にはオプションが付いて松果体それ自体を認識できるようになりました。

魂は松果線にあるとトスは言っています。
ヨガナンダは魂は背骨の支柱の真ん中を上下していると言っています。
私の場合は魂(意識)は松果体に在るのではないかと想っています。

いえ、そのように感じるのです。
総ての感覚器官を感知する頭脳を統治しているのが
この松果体です。
意識はいつも身体の上層部にあるのを皆さんも感じて
おられるのではないでしょうか。

勿論、下の仙骨や足先も感じることはできるのですが
でもいつも魂の意識を捉えているのは脳の真ん中にある
第3の眼の奥にあるこの松果体のような気がしてなりません。

さて魂が松果体にあるすれば、
第3の眼の奥にあることになります。

眼と眼を合わせるドリシティはやはり「魂が魂を意識する」、
それが魂と魂の出会いともなる

とつくづく想い至った次第です。

ヨギ仲間のハンスが語っていたように、
一瞥で弟子を悟りへと導いたヨガナンダのドリシティの力は
純粋性の力であり、大いに見習いたいものがある
と想ったものでした。

眼力だけで総てを伝授できる仕業はヨギがもっとも
理想とする方法です。
何故って、神の真理は言葉ではとても表現し得ないものだからです。

この一瞥で悟りへと導くドリシティの力は純粋性の力です。

ここで誤解されがちなのは純粋性は
celibacyのことで神に操を立てることだと
勘違いする方々がおりますけれど。
特に宗教界では弟子たちにそれが課せられますし
まあ、それも解かる気もしますけれど、
でもそれはカオスなこの世界でのこと。

例えばオオカミ王ロボが妻ブランカを生涯番いの相手と
その生命を真っ当したことは有名な話です。

でも今の世の中、獣たちは生殖本能で、
また人間は快楽を求めてsexしますけれど・・・。

本来はそうではないように想うのです。
魂の片割れと元の通りにひとつになりたいと云う
切なる願いが衝動となってsexへと至るのだと想うのです。
もしそうであればsexは決して不純なものでなくなります。

むしろ、戒律によりsexを禁じることで、未通の者たちは
それを誇りに思うことで傲慢になり、
既婚者たちを蔑み、更にはsexを知らないために
sexに憧れそれが執着となって逆に不純になって
いるように見受けられるからです。

無論そうした人ばかりではないでしょう。
フランチェスコのような、また彼の恋人キアラのような生涯、
清らかであった人たちも実際におりますしね。

ではこの純粋性の力は何なのかというお話は次回ということで(多分)。
なんせハンス曰く、話が長すぎると読む気が失せるとのこでしたので。。。笑

フランチェスコのお話がここで出たので今日は彼らの
ストーリーが元になった映画の主題曲を御紹介します。

おそらくはこの太陽のブラザーとはフランチェスコのこと、
月のシスターとはキアラのことを合わせ言っているのではないでしょうか。

Brother sun & sister moon

ブラザーサン シスタームーン
その声はめったに届かない
自分の悩みだけに心奪われていると

兄弟である風よ、姉妹である空の精よ

私の眼を開いておくれ

清く正しい心の眼を

私を包む栄光が、この眼に映るように

神に与えられたこの生命だから

私にも神は宿る
その愛が今この胸によみがえる

ブラザーサン シスタームーン
今こそ、その姿に触れ、その声を耳に

そして胸を打ち、あふれるこの愛を、、、