「ヨガナンダ」カテゴリーアーカイブ

至高の白鳥

こんにちは、ハンスです。

今回も、前回にひきつづき
映画「永遠のヨギー」から、引っ張ります。
映画自体も好評らしく、上映延長してますね!

前回「魂に触れるヨガナンダの言葉多数あり」
と書きましたが、中でも一番、私の知力に触れ、
また皆さんにもシェアしたいものがありまして、、
まんま、この通りではなかったと思いますが、ちょっと引用します。

『人は、行動を繰り返すことで、心にパターンができる。
レコードの溝のように、
自分でつくったその溝を、単にたどって生きるのが人生。
けれども、“意志の力”と“愛”で、エネルギーの方向、思考や感情を
転換 / コントロールし、この溝をつくり変えていくのが、ヨガ』

これはですね、、ちょっとすごいです。

私たちはよく、ヨガに限らずいろいろなところで
「“感じること”の大切さ」を説いたりしますね。

ブルースリーやジェダイではないですが、
頭でっかちになってしまうと、感性が鈍り本質を見失う、
ということは、そのとおりだと思います。

ところが、この「感じる」というのは、
なかなか厄介者でもありまして・・

私たちが普段行っている行動は「ほとんどが習慣」
等と言われるのを聞いたことがあるかと思いますが、
この習慣とは、単に「歯を磨いたり、キーボードで入力したり」
という行動のことではなく、実際は心の中のこと
もっと言うと、
観えない信念、無意識下にある「私(自我)の常識」です。

ヨガナンダが「レコードの溝」となぞらえた
「過去の記録」を、私たちはスピリットの中に刻んでいて、
まさに、それをなぞる(再生する)ことによって
私たちは思ったり、感じたり、行動したりしています。

この「記録の溝」のことを
インドの言葉で「チット」と言います。

「ネガティブに考える傾向がある」という人は、
単に「考えるな。感じろ」と言われても、
自分の中のある否定的なパターン(チット)を頼りとするので、
ポジティブな感情を味わうことは、まずないはずです。

“自我が思考を牛耳っている”限り、
それしか選択肢がないからです。まさにレコードの溝。
「それに沿う」しか、道がない。

そのまま放っておいたら
基本的に同じパターンを繰り返すだけで、一生、何も変わりません。

けれども、実際には「別の道」があります。

「自我」に支配されている心と思考を
「ほんとうのわたし」が奪回すること.. それがヨガという「道」です。

そのためには、理解 / 認識 / 気づき が必要になってきます。

ドリシティ瞑想は、“感じる瞑想”ではありますが、
そのためには、理解がいります。
ですので、セミナーの前半は
「理解のための時間」をたっぷりとっています。

もし、その理解がないと
良質のドリシティを体験できるかどうかは、
“一人ひとりの「記憶の溝」によりけり”
ということになってしまうからです。

ということで、、
ヨガナンダも言っていたヨガの本質
「記憶の溝をつくり換える」
一緒にその入り口に立ち、実地に体験していきましょう!

※ちなみに・・
彼の名前「パラマハンサ」とは
パラマ=至高の ハンサ=白鳥
そう、わたくしハンスは、彼と同じ名前をいただいておりました!
至高の ではなく、ふつうの白鳥ですけど笑

※挿絵は、「顕在意識」と「潜在意識」を氷山になぞらえたもの。
人は潜在意識で動いていることを表しています。
潜在意識と「チット」はイコールではありませんが、
説明として代用できます。


映画『永遠のヨギー:~ヨガをめぐる奇跡の旅~』

こんにちは、ハンスです。
5月も末、だいぶ夏の陽気に近づいてきましたが、
いかがお過ごしですか?

kokopelliさんもコラムで紹介されていましたが、
映画『永遠のヨギー:~ヨガをめぐる奇跡の旅~』を
先日kokopelliさんと一緒に観にいってきたので、
今回はそれを取り上げてみたいと思います。

スティーブ・ジョブスが亡くなった時、
彼がiPadに唯一入れていた本が
パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』だった
ということで、一部で話題になりましたね。

この映画は、その本の映画化というより
今現在の、多数の著名人の逸話や証言を通しながら、
映像とともに彼の生涯を振り返っていく
第三者的立ち位置寄りのヨガナンダ・バイオグラフィ
と言うべきものです。

ここでは映画の内容を考察するわけではないのですが、
魂にふれる彼の言葉、教えもたくさん挿入されていますので
それはまた改めて紹介します。

まず、何よりも、
「ヨガ」という響きからイメージされるのは。。
映画の予告編でも出てきますが、

「ヨガは体で行うものと思われていますが、
ほんとうは、こころに関するものです」

この一文に、ある意味
ヨガの最初のエッセンスが集約されている感じがします。

日本やアメリカでは
体を動かし、ポーズ(アーサナ)をとること(ハタヨガ)
が、ヨガだと思われているフシがありますね。
始めるきっかけとしては、いいと思います。
でも続けていくうちに、、

20年あるいは30年、ハタヨガインストラクターを
している方々を、僕は何人も存じあげていますが、
皆さん、遅かれ早かれ、瞑想や内観といったものに
関心と実践の優先が移っていってます。

というのは、アーサナのいうものは
長い時間、瞑想に座れるようになるために行う準備であり、
アーサナ自体にヨガの本質はないからです。
これは映画の中でもヨガナンダが明言しています。

宇宙の道理からいって、それが定石です。

体がこころを癒すのではなく
こころが体を癒すんです。

「ヨガとはこころの科学」と彼は言っています。

ま、そうは言っても・・
体がスッキリすると、こころがスッキリすることも、事実。
この世にいる以上、この二つは密接につながっているので、
相互に影響を及ぼすことは避けられません。
ハタヨガで一時、解放感や安らぎを感じている方も多いと思います。

要は、、
“わたしはマスターとして
こころを管理し、かつ道具である体を、大事に使っていく”
という姿勢が大切、ということ。

(↑「姿勢(・・)が大切」って言ってますね(笑)

でもほんとに、この映画を観ると
「瞑想したい、リアライゼーションに安定したい!」
って、ムクムクとやる気が出てきます、
そして、カラー映像の彼から放たれる、
強くて澄んだドリシティも、一見の価値があります!

では、、長くなりましたが、今日はこのへんで。

※リアライゼーション realization :認識
映画の中では、セルフ・リアライゼーション=自己実現
と訳されていました。