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光と闇の狭間にいて

『間とは』理想と現実の間、光と闇の間、天と地との間のことを言います。

少しずつ夜に近付いて行く時刻の狭間とか、昼と夜との境界線とか
変わって行く季節の狭間でもあります。

それは朝焼け、夕焼けのトワイライトの間でもあり
ブルーグレーの空に赤く光る雲があって、
花に水色の影が射す、華麗なほんの一瞬のシーンでもあるのです。

ここは間の世界です。
ですからこの「間」は、「魔」でもあり「真」でもあり「痲」あり「磨」であり、
私たちが生かされている今の次元にこそ存在する時限です。
私たちはこの間で天国(神)と地獄(魔)とを体感するのです。

 

たとえば、ソ連の限りなく北極に近い殺伐とした殺風景な草原の中を
2人乗りの中型の軍用トラックがいたとして。。。
夜通し走り続けた疲れから少しの休憩を取ろうと兵士が止めた車を降りて、
片割れはそこを離れました。

残った一人が待ちくたびれた結果、
外で暖を取るために胸に抱えていたゴムホースを
車の排気口にかぶせて明け方の凍えからその身を守ろうとしました。

ところが、出口を失った排気ガスが爆発して
トラックの荷台に積んであった爆薬に引火して辺り一面を巻き込んで
あわや爆弾が落ちたのかと思わせるような大爆発が起こります。

このたわいもないたった一度のそれもたった一人のマヌケさが、
今まで燻ってい起爆剤となって両国のソ連VSアメリカ、
そしてアラブ諸国や中国、韓国など周りの国々をも巻き込んだ
第3次世界大戦へ突入するきっかけとなるのです。

3度めの正直と言いますけれど、
今回の3度目はもう次がないという意味の3度目です。

実に核兵器は使うために存在し
相手を牽制あるいは抑止するためにあるのではなく、
次の世界大戦には核保有国は必ず原爆を使います。

これは言わずもがな、そんなに古くも無い昔に、
アメリカは2発も核爆弾を使っていますしね。

これは、これが先日夢に観た出来事なのです。

 

さてこのマヤ(摩耶)は実現に至るのやら、逆夢になるのやら、
はっきりとしたことはここでは申しませんけれどでも、
自分がどちらの方向へ行くのかは自分で選べるのだと確信して頂きたいと
ここに記しておくことにしました。

嘘や虚偽が堂々と大手を振ってまかり通る今のこの世の中では
偽りを物語っている本人たちの自己認識のなさに由来するのです。
嘘偽りを言っても、自分自身をも偽り裏切っていることを知らない。
彼には自分の認識がない、自己認識がないのです。
そのことは心眼で捉えてみれば直ぐ解かります。

そうなんです。
その「間」に私たちには選択の余地が常にあるのです。

これがいわゆる世間で言われている引き寄せの法則でもあります。
(これは創造主からの祝福の賜物ですね)
でも但し、今ここに目覚めていれば、自己認識があれば、
という但し書きが付くのですけれど。

つまり、幸福な世界への天国の門は
求める自分がいなければ見付からないことだけは事実です。

要は「求めよ、されば与えられん。叩けよ、されば開かれん」です。

この幸福感は日々のささやかな歓びに一つひとつ感動し
満たされる心地を愉しみながら生きる暮らしというものです。
でもこれらは教えたくとも手助けの届かぬ次元のことで
自分の天国は自分でしか開けられないのですから。

そして更に残念ながら今の世では
天国の門を管理する天使たちは巷間に流布しているような
慈愛の笑みで幸福を振りまくエンジェルたちでは決してなく
過酷な試練を容赦なく与え厳しくジャッジすることを働き甲斐とする、
熾天使とでも言った連中であるに違いないのです。
最後に、たとえ周りが何を言おうとも人を陥れるような輩は結局は
自業自得の憂き目に遇うもので、
「天知る、地知る、我知る、人知る」と言った風情を装って
生き永がらえて来た私たち魔女です。

見えない人たちは見えないことの苦しみを理解して欲しいと訴えてくるけれど、
過去世に於いて、裁判にかけられて弾劾され、搾取され虐待を受け、
命さえも奪われ世間から迫害され傷ついたサンスカーを持つ私どもにとっては
人の苦しみも哀しみもこの身に受けてしまい、
ただただ見えてしまうという苦しみを理解しようとしたことがあるのかと
皆さんに問いたいくらいなのです。

とこれは愚か者の愚痴だと受け止めて頂いて、
今日はこの曲をプレゼントさせていただきます。

夢は夢で終わらせない、
その手で天国の門を叩き、夢を確かなものにしてその手につかんでください。

Bob Dylan 「 Knockin On Heavens Door♪」