カテゴリー別アーカイブ: ベジタリアンについて

ベジかノンベジかなんて・・・

ベジ(菜食主義)かノン・ベジ(肉食)なのかなんてどうでも良いこと。

肉食者は、彼らの祭壇に祀られた生け贄に感謝する気持ちがあれば
問題はないのだと自己完結して言い、
菜食者は無論、彼ら特有の倫理観で肉食者を糾弾し論破するけれど、
でも実際はそのどちらもナンセンスなことなのです。

たとえば、肉食者たちへのベジタリアンの言い様は
今はまるで、ちょっと前までは公然と認められていた喫煙者たちへの
重罪という弾劾が課せられているかのようです。

かつて火焙りの刑で殺されていった多くの魔女たちの姿が重なって
人々の観念とはあな恐ろしやとただただ見守るばかりです。

もちろん個人的な見解としてですが・・・

飢えのためでなく、単に食卓を彩る食材として飼い殺される動物たちが
最後、ドナドナ気分で身体を離れた遺体を食べる気にはなれませんし、
かと言って食べられたくはないと感じられる植物たちも手折って口にする気にもなれません。

そうなんです。
植物たちにも、感情とは行かないまでも意識と云うか気は感じられるのです。

 

でも完全な不食でいられる訳もない個人は、あるお年寄りが語った一言を想うのです。

「必然的に人が歳をとって痴呆になるのは神の倫理」だと。

彼女はボケることで死に対する恐怖を乗り越えていくことができる
というような意味合いで言っておられたと想うのですが。

実際にも多くのお年寄りたちの死に対する概念は漠然としていて、
死に際しての心得というかそれは単にやり過ごすとか
成り行きに過ぎないという感じでしょうか。

これではまた直ぐに生まれ変わざるを得ない状態でしょうに
と想うのは要らぬお節介というものなのですね。

彼らはそれを己に許しているのですから。

傍からどう想われようが、それが彼らが受け入れた彼ら魂の運命なのですから。

では逆に目覚めたまま生きている魂たちは呪われているのかというと
それもまた神に愛された魂たちなのだと想います。

なんせ彼らは飛び級という神からの祝福を特別に受け持った魂なのですから。

勿論その分、苦労も弊害も並大抵のものではないのです。

物事が観えてしまい即「理解してしまう」オープン・ハートというセンサーを
持っている人たちは、余計に傷つくことも多く、
何でも入ってきてしまう体質で自分を統治するのは多大な力を要するのですから。

でもまあ、宇宙意識からすればそれらも覚醒者であろうが
無自覚に眠っている人たちであろうかは、
ベジかノンベジかの差ぐらいで大差はないように想いますけれど。

 

さて東京は一昨日の新月と大潮の果てに、いよいよ梅雨明けでしょうね。

皆さんも、引力による満ち潮・引き潮、
地球が縦長に引っ張られるくらいの磁力を感じてはおられるのではないでしょうか。

こういう時は夢見も多いことと想います。
体調は万全でしょうか。

ここ2.3日の台風がもたらした晴れ間の雨は、
さらさらと天から落ちてくるシャワーのようで
鬱積感が一掃されたような感じでした。

梅雨明けに感謝して、そして雨たちにも感謝して見送りたいと想います。

たとえばこんな感じに・・・・

Little Tempo 「 Beautiful Rain♪」