カテゴリー別アーカイブ: 2019-06

今は神様だって孤独

今のような自分が誰かも解からない
人たちばかりが生きる世の中では、
きっと神さまが存在することも
認識しておらず、きっと神さまは
私たちと同じように孤独感を味わって
いるように想われます。

パートナーや親しい関係にある家族に
囲まれて暮らしていても、そこに心と
心の交流がなければ返って、一人で暮らす
より孤独感は増すものです。

神様は私たち魂の生みの親であり、
身を分けた家族より、いつも身近に
存在するものであり、もっとも親しい
ものです。

皆さんはそんな神の存在を常に身の内に
感じておられるでしょうか。

たとえば
生命の自覚なく無駄に時をやり過ごすのと、
病に罹って一刻一刻(たとえ生命は短くとも)
生命の炎を灯すように生きるのと、
一体どちらが幸せなのだろうかと想うのです。

命に対する悲哀や怒りや苦悩はリアリティが
なく、単に考えが形を成したものにすぎません。

そうした考えから自由になるには
それを見ている者に寄っていく、
証人そのものになりきることです。

修行や訓練で自分をダイレクトに変えよう
としてもそれは不可能です。

他人を批判したり見下したりする傲慢さ、
あるいは怒りが身の内側から沸々と湧いて
くるのを感じたら、即否定するのではなく、
それらを見ている本来の自分にフォーカスする
こと、常に見ている証人になることです。

これを何度か繰り返していると気付きが育てられ、
やがて気付きが keyとなって変革の波が
やってきます。

元々、私たちは魂は神から放たれた故の
孤高の存在なのです。
でも自分の身の内には常に神が存在し、
この身体は神の宮です。

このことは生まれたばかりの子供たちでも
死が近くに迫った老人でも変わることは
ありません。

子供達でも老人でも周りの人たちが是非、
その生命の尊厳を以って身体を愛ってくださればと
心から願います。

Country Comfort 「Rainy Day Songs ♪」

今日は梅雨時の合間を抜った、
気分が揚がるような青空です。

最近我が家の周りでよく見かける
声も美しいけれど飛んでいる姿も美しい
ウグイスやカッコウ、彼らを目にする度に
「あー私も飛んでみたい」と
思いながらいつも眺めています。