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ソウルメイトについての考察2

昨日のコラムの続きです

・・・
ツインソウルとは魂の片割れのことです。
ですから自分が好きとか恋しているとかの感情は、度外視した想いも寄らない
また考えもしなかったという運命が決めた相手のことです。

でも魂と魂の関係は片方が片方を必要とするとか
失うと生きていけないとか、そういう成りたちではありません。

ですから自分がいないと相手は生きてはいけないとか、
相手がいないと自分は生きていけないと思うのは、
自分の傲慢さと盲目的な献身さ(執着さ)加減だけなのです。

自分のカルマに堕ちる、これが恋です。

皆さんが期待するようなロマンティックなお話でなく、
大変申し訳ないようにも想うのですが・・・

真実の愛には、恋を占うとか恋に溺れるなど
ゲーム感覚のようなロマンスを愉しむような遊びがありません。

いつも、何かが足りないという物足りなさを感じ侘びしくもあり
ずっとずっとその空虚感を埋めようとして魂の相手の面影を求め
人は何度でも恋に堕ちるのです。

実際にも概ね恋に堕ちる対象は
ツインソウルのサンスカー(過去世の印象)を
どこかしらに留めているものです。

でも魂の相手を求めて何度も何度でもこの恋に堕ち
やがては「恋」は「愛」ではないと目覚める時が必ずやって来ます。

そして本人が自分の愛に目覚めた時、ツインソウルとの出逢いがやって来ます。

求めても得られず、捜しても見つからなかった魂の相手は
あなたが嫌いとか好きとか、そんな範疇を超えたところにいます。

あなたがひとつの魂として自分の力に依って立ち
自立し目覚めた時に初めて認識する魂なのです。

それが神のシナリオであり、この運命(命の運び)という流れのドラマです。
この地球に堕ちる時に、元々ひとつだった魂が2つになり
その後この星での何度かの出会いを繰り返す内に
記憶が薄れてやがては忘却の彼方へと忘れ去ってしまう運命にある魂です。

この星に何度も転生を繰り返す内に
記憶が薄れて行く程に盲目になった魂たちは
霊的な力を失い寿命も縮まり自力を失って行きます。

大きな時代の変わり目に出逢うこの2人は転生を繰り返す内に
お互いがお互いを認め合うこともなく、騙し合い愚弄し合い
やがては完全に分離の道を歩むようになります。

その後、性格とライフスタイルが対称的で
でも気質(体臭)が同じという魂の片割れは似た特性(徳性)がないことから
当然巡り逢うこともなく、お互いを完全に忘れ去ります。

そして自分と似た性質を持たない魂の片割れは
目覚めた魂でなければ目にしても気付くことがありません。

そして、その魂たちが自力(内なる神の力)で満ちていて時が満ちれば
たった1度でも目が逢えば即「お互いがひとつの魂だと認識する」
そのような相手です。

実際にこの世界でツインソウルのパートナーを得た人たちは皆一応に
中真がしっかりと通っていてブレなく、何よりも視線に愛のパワーがあり、
その圧倒的な存在感は目を奪われます。

古事記・神代編の最初に登場する
「たかみむすびのかみ」「かみむすびのかみ」の神さまたちは
「ひとり神」で沢山の子(神々女神)を成しています。

つまり、ひとつの身体で雌雄両方を持つ完成された魂です。

実際に今の世でも雌雄両性同体の生き物たちはおり
その可能性は人でもあり得ることですね。

ツインソウルは次元を超えて行くにあたって1つになり
次元を超える度に魂たちとの合体をくり返し
やがては完成された姿(魂)で存在する必要があるのかも知れません。

でも新しい魂たちはこのことを理解しません。
これを理解できる人たちは魂が古いほんの一握りの人たちにすぎません。

これは仕方のないことなのです。
何故って、時間に捉われた次元においては
早いか遅いかの時の差はどうしたってあるのですから。

 

たとえば・・・・
月がおおよそ28日で自転し(地球の周りを)公転し、
地球が1日24時間で自転し、365日で太陽の周りを公転します。

そして太陽自体も自転と公転を繰り返し
太陽系の惑星たちを巻き込みながら
螺旋を描いて銀河丸ごと他の銀河と同じように移動しているのです。

この宇宙の流れには生命力と云うパワーがあり
流れがあり、そして方向性があります。

それはまるで宇宙そのものを現わしているかのような風景です。
その絶妙なバランス感覚と叡智、それが想念パワーそのものです。

この宇宙のすべてがバランスで成り立っているように
物事は無限と有限、闇と光、陰と陽、マイナスとプラスでひとつです。

私たちもそのような対極の性質を持った2人でひとつの魂なのです。

今私たちが生かされているこの宇宙空間次元をマインドで捉えようとすると
そこは漆黒の暗闇が無限大に拡がる計り知れないイメージが伝わってきます。

でももしこの宇宙空間を心で捉えることができたならば、その景色は一変します。
様々な星たちが生き生きと生きていて
ただ漆黒の闇が横たわっていると思われていた星と星の空間は
愛という創造者の想念で満ちているのが解かります。

心で感じてみれば、この次元の境目にも行き着くことができ
また更に次の次元への方向も見えてきます。
破天荒で自由奔放なこの世界は飛び級(次元を飛び越えること)もできるのです。

今この瞬間に、今ここに、この身体を以って地球人として存在し
この宇宙の創造主と宇宙の次元空間を理解できる自分は素晴らしいと想います。

勿論、個としての自分ではなく創造主の遺伝子を受け継ぐひとりの人として
本当に素晴らしいと想えるのです。

人は素晴らしい・他の生命たちと同じように。

この日本も素晴らしい・他の国々と同じように。

この地球は素晴らしい・他の星々と同じように。

大いなる心で生きることが大切です。
心にイメージできることが全てです。

想像は創造ですから。

自らの内に無いことは(実現不可能なことは)
自分の中にイメージとしてやって来ることはありません。

ですからイメージできることは「既にそこにある」ということで即、実現可能です。

あとはマインドで捉えなければ(恐怖感などの抵抗感がなければ)
ことは全て流れの通りに興るものです。

心が奪われることなく心病まず、心して生きれば、それが己を愛することで
己に愛があれば必ずや愛を携えた片割れの相手が自ずとやって来ます。

すべて当たり前の自然なこととして。

 

とまあ、今回も取り留めのないようなお話になりましたけれど・・・

 

次回は「死という概念」についてお話しようかなと想っています。
というのも、未だに死に対する恐怖感を抱いている方々がおられると云うのを耳にし、気になったので・・・

でも次回からはもう少し短くしたいな~、なんて・・・