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ドリシティ瞑想について

瞑想がマスコミで
頻繁に取り上げられるようになった昨今
実際には知識人やセレブたち、
または業界のトップの企業人たちの中で
取りざたされているだけで
インド人たちのように一般の人たちが
瞑想に耽るようになるには
この国ではまだまだ時間がかかるのかも知れません。

それでもヨガがこの世界全体を
Globalな視野で眺めてみれば
普及しているのは確かなことです。

この日本でも、
あちらこちらで瞑想ワークが行われているように、
その瞑想方法は数限りなくあります。
いえ、元より瞑想方法などある訳もなく、
それぞれがそれぞれのやり方で
神と繋がれば良いだけの話なのですから。

ただより良い効率が成されたやり方と云うのも
有りかと想った次第で
今までで私が個人的に様々な瞑想経験から
最も的を得たと想われるドリシティ瞑想を
お勧めしている訳です。
かと言ってこれだけが全てという訳もなく
他にお勧めの瞑想法があったなら
是非とも御一報ください。

ドリシティについては既に
るなさんのブログの中でもお話させて頂いています
けれど何故、
ドリシティ瞑想にここまで拘るのかと云うことと
具体的な瞑想方法を
もう少し解かり易くかつ噛み砕いてお話できればと
想った次第であります。

元より私個人としましては瞑想などは余計のこと
何で瞑想が必要な世の中に生まれて来てしまったのかと
常に嘆いているのです。

嘆いてはいるのですが・・・
確かな未来など在る訳もなく
夢も希望も、
持っていても良いものだけど
それらは現実ではないと
わきまえていないと結局は夢見ることに
うつつを抜かしているだけで
何も成就せずに終わることになるのがおち。
未来なんて危ういものに
下駄を預けてしまったりしなければ
実現できた夢もあった
などと後悔せぬようにと気が付いたことが
ヨガを自己流でなく、
新たに習ってみようと想ったことがきっかけでした。

新たにヨガを始めてみて想ったことは
ヨガの体験は人様々で、
其々が其々の個人的な人生を体験しているに過ぎないのだと
云うことが解かったことです。

どんなに深い覚醒体験があろうが、
結局はその人はその人のままで
深いのか浅いのかなんて、
その人の中の体験にすぎず
その人が持って生まれた運命と云う範疇を
超えることは決して無いのです。

逆に言えば、
たとえ覚醒体験が無くても、
神に近く生まれた人たちは
イエスのように
身の内に神の真理を携えて生まれて来ます。

ですが未来などは無い、
今に生きる身として
そこはやはり「常に今ここに目覚めている」と云う
ヨガは外せないものなのだと想い至った次第です。

瞑想三昧に入ると
神の世界に在ると云う実感が伴って
この世界にリアリティがあり
それだからこそ、
そこには歓びがあり、
幸福感が満ちて一種の解放感と云うか
エクスタシーがあります。

逆にこの状態を体験していない時には
今ここの自分と云うものをしっかり捉えておらず
足元がグラ付き心許無い思いがします。

常に瞑想状態でいると
何か突発的な事柄が身の周りに起こった時、
それに巻き込まれそうになった時、
瞬時に原点に還ることで、
冷静に対応することができ、
果敢に挑戦することで
問題をチャンスに換えることができるようになります。

そこで瞑想状態を常に何処にいても、
何をしていても保てるようになるために
眼を開いたままのドリシティ瞑想が役に立つのです。

禅のように時には眼を閉じて内観することも
必要かも知れません。
けれど自分の内側ばかりを観ていても、
その自分と云うものが
現実の中に生かされなければ
何の役には立ちません。

そこで眼は半眼に
外側と内側の調度バランスが取れたところに
自分の視点を置くこと
それが地球人としての私が推奨するドリシティ瞑想です。

(でも実際の話
私たちの兄弟たちのいる別の星の人から観たら
笑える話なのかな・なんて時々想いながら
ヨガってますけれど。)

さて今日は今話題になっている
ノーベル文学賞を賜わったボブ・ディラン作詞の楽曲を御紹介します。
彼の詩はどれも哲学的で美しいです。

Jerry Garcia Band 「 Simple Twist of Fate♪」

Simple Twist of Fate
「運命の一ひねり」とでも訳すのでしょうか

最近ノーベル文学賞を受賞したボブ ディラン
実際には彼は受け取った訳では無いようですけれど
そのような権威には興味がない
人が創りあげたそのような
ステイタスに媚びない、
そんな生き方がまたステキです。