ソウルメイトについての考察1

この世界で人は何度も恋に堕ちます。
身分の差、ジェンダーも年の差も関係なく
聖職者でもやくざでも皆平等に恋に堕ちるのです。

そして命を賭した恋に堕ちて心開き、やがては愛を知るようになります。

そこで「」と「」の違いはなんなのでしょう。

恋とはどういうものなのでしょうか・・・。

 

たとえば、このようなものかも知れません。

♪amy winehouse 「 addicted 」

エイミー・ワインハウスの曲です。

彼女はお酒とドラッグと恋人の3つ巴の依存症(中毒症)で27歳で身体を離れた魂です。
マインドコントロールも献身も迎合もサレンダーもすべてマインドに魂を明け渡すこと、
これが中毒症とか依存症と言われるものです。

勿論、個人的にお酒もドラッグも、そして恋することが悪いとも善いとも
判断するものではありません。
すべては使い方次第、本人の問題なのです。
魂の意識さえ以ってすれば、何をしても己を失うことはないのですから。

理性を失うほどに夢中になって心奪われ、
あるいは耽る(ふける)・溺れる・本質不在の恋、これが恋に堕ちると云う現象です。

逆に愛とは本質が現われた状態のことを言い
個人が本音のままに生きる様を愛と言うのです。
恋は病であり愛は癒しと言われる所以がここにあります。

でもここからは、本題の「ツインソウルとは」をお話します。

たとえば皆さんは、神の力が内側から満ちるという感覚を味わったことがあるでしょうか。
もしあなたの内にそれを感じることができたなら、それがあなたの宗教だと想います。

でもその感覚をこの世界に以って実現しても、
その感覚を知らない人たちは、凄いこと、奇蹟を起こす人、
スーパーサイア人などと勝手に価値観をつけて、本当のところが理解できません。

人々が普段目にする大海のさざ波のような社会現象は
その大海の表面ばかりであって、現象を支える大洋の深海を目にすることはありません。

要は見えない世界は感じられず信じられず、
見える世界だけを小手先で何とかしようとするのが恋するという現象です。

ですがこの世界は自分の手の内側に在るものですから
兎にも角にも自分自身さえ何とかできれば
それで事は済む・思い通りになるか否かは別として恋は成就するのです。

「神の力が満ちていて、そのように身体が動き、すべてが起こるに任せる」というこの感覚は、(スポーツ界ではゾーンに入るといいます)経験がない人たちには理解できないものなのでしょう。

「神の力が自らの中に集約され満ちる」というこの感覚があってこその
自己実現というものは、いくら言葉で説明しても、
むしろ言葉で表現しようとすればするほどに御託になってしまうものなのです。

でもことツインソウルに関しては、この感覚を理解した人たちでなければ
頭では理解できてもハートでは理解できない(腑に落ちない)
ということを前以って御理解いただいて、
これからお話することを失礼な奴だと思われないようにお願いします。

 

・・・次回につづく(明日掲載予定です)